海外クラシックギター製作家リスト

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世界に広がるギター製作家(文・荒井史郎)

ギターの歴史は古いが、近代ギターの礎はスペインのギター製作の父と呼ばれるアントニオ・デ・トルレス(1817-1892)によってつくられた。今日までほとんどのギター製作家はトルレスの影響を受けながら、トルレスを越えるギターの製作に励んでいる。

20世紀の前半ではトルレスの流れを汲む、ホセ・ラミレスをはじめとするスぺインのギター製作家達とドイツのヘルマン・ハウザーが、代表的な製作家で、他の国ではほとんど知られた製作家は見られない。

スペインから移住して、南米で活躍した一部の製作家、パリに移住したフリアン・ゴメス・ラミレス、そのギターを観察、研究したロベール・ブーシェなど、20世紀後半に入ってギターが発展するとともに、各国でギター製作家が育っていったのである。

1954年、トルレスの伝統を受け継ぐスペインのホセ・ラミレス、そしてトルレスの伝統を受け継ぎ名演奏家アンドレス・セゴビアの愛器、マヌエル・ラミレスの影響を受けたドイツのヘルマン・ハウザーを日本に輸入、ギタリストに紹介した。当時の世界を代表するギターだったのである。

ギターの発展とともに、すばらしいギター製作家がスペインをはじめとして、各国に誕生した。こうした将来を期待されるギター製作家のギターを日本に紹介してきたが、ここでは現存する製作家を中心に当社が輸入し、推薦できる製作家を採りあげてみた。

Antonio Marin Montero アントニオ・マリン・モンテーロ (スペイン)

1933年、スペインの古い城下町、アルハンブラの宮殿がそそり立つグラナダに生まれた。若い頃は家具職人として働いていたが、フェレールのギター工房に出入りするようになってギターに興味を抱き、その工房で3年半修行をし独立したのが28歳の時だった。

44歳の時にフランスのギター製作家、ロベール・ブーシェに出会い大きな影響を受けた。ギター製作に対する考えを根本的に変え、新境地を開き、本物の芸術的に価値の高いギター製作をすることができるようになった。

風光明媚なアルハンブラ宮殿から市街地へ下る坂の途中の角に、小さなギター工房がある。1979年に移転した現在の工房である。そこには、甥のホセ・マリン・プラスエーロが同じ工房の中でギター製作に携わっている。

グラナダには優れたギター製作家、もう一人の甥であるパコ・サンチャゴ・マリン、ドイツからきたベルンド・マルチン、オランダからきたレネ・バースラグ、それにアントニオ・ラジャ・パルド、など、アントニオ・マリン・モンテーロを慕い、教えを受けた国際色豊かな製作家が、この地に根を下ろして製作を続けている。

ブーシェの影響を強く受けたアントニオ・マリン・モンテーロの音は透明度が高く、スケールの大きさを感じさせる。

Antonio Raya Ferrer アントニオ・ラジャ・フェレール (スペイン)

1980年2月26日にグラナダの著名なギター製作家、アントニオ・ラジャ・パルドの長男としてグラナダで生まれた。セゴビアの最初のギターを製作したエドワルド・フェレール、その妻のベニート・フェレールはフェレールの祖母にあたる。

17歳の時から父の工房でギター製作を習い、由緒ある家系で育った故か、最高の師匠を得て、素晴らしいギターを製作するようになった。もう教えることは何もないと、父であるアントニオ・ラジャ・パルドは言う。ギター製作に最も適した環境と言われるグラナダで育ち、優れた製作家たちとの交流は、製作に磨きをかけることになろう。

彼の製作したトルレスモデルは素晴らしい仕上げで、工芸品である。音もよく研究されており、豊かな音量でありながら、クリヤーで上品な音色である。

Arcangel Fernandez アルカンヘル・フェルナンデス (スペイン)

1931年マドリード生まれ、家具職人として働き、フラメンコギターを弾いている頃、当時、マドリードの著名なギター製作家、マルセロ・バルべロの工房に出入りするようになって、ギター製作に興味をもちバルベロの工房に弟子入りをした。バルベロの良き指導もあり、急速に技術を習得したが、1956年、25歳の時、師のバルベロは、13歳の息子、バルベロ・イーホを残して他界した。

1956年、マドリードの中心部で古い街並みのヘスス・イ・マリアにギター工房を開いた。現在も、この小さな店、工房でマルセロ・バルベロ・イーホと一緒にギターを製作している。バルベロから学んだスペインの伝統製作技術をもとに、材料の選定にこだわりながら、コツコツと地道に製作を続けている。

1960年、1970年代に製作されたフラメンコギターは、音にしゃりみがあり、鋭く、低音側はドスンとした太い音でフラメンコプレーヤーの人気が集中した。昨今ではクラシックギターも素晴らしく、フラメンコギターを製作している余裕がないようである。

Bernd Martin ベルンド・マルティン (スペイン)

1954年 ドイツのシュツットガルトに生まれる。ピアノとギターを若い頃から学ぶ。1976年マルティンは、大学を中退しグラナダに移住、ギター製作家の道をめざす。 マルティンは、アントニオ・デュラン、ホセ・ロペス・ベリドギター工房の元でスペイン伝統技術を学ぶ。 自分のギター工房をグラナダに開設。1999年にルテリアギター製作家コンクールにて優勝。(この時の審査員の一人が、ホセ・ロマニーリョスだった。) 2006年ギター工房をアルバイジンの隣町サクラモンテに移動。 トーレス、アリアス、マヌエル・ラミレス、サントス・エルナンデスなどの伝統的ギター技術を学びながら今日も真のスペインギターサウンドを求めチャレンジしつづけている。

Lucas Martin ルーカス・マルティン (スペイン)

1984年生 ベルンド・マルティンとスペイン人の母の子として1984年、マラガに生まれる。1986年からグラナダに移住、そして父ベルンドがグラナダに、ギター工房を開設。幼少の頃からギターの材や工具に囲まれて育ったルーカスは、 2002年に初めての自作ギターを完成させる。 電気工学を学生時代学び、その後父親のベルンドに学びギター製作を続ける。 2006年には、ギター工房をアルバイジンからサクラモンテに移動し、生粋の伝統的な手工クラシック、 フラメンコギターを作っている。

Brian Cohen ブライアン・コーエン (イギリス)

南アフリカ、ヨハネスブルグ大学に在学中、ギター製作、修理を始めたが、1972年に英国に移住しギター工房を開いた。古典楽器に興味を持ち、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバなど多くの弦楽器を復元した。

1986年には、17、18世紀のチェロに注目しその製作手法をギターに採りいれたことで脚光を浴びた。1991年、ジュリアン・ブリームの依頼で新しい手法を採りいれたハウザータイプのギターがブリームの協力によって製作された。何本か製作されブリームの手に渡ったが、コンサートで使用されていないようである。ブリームはある期間弾き込んでから使いたいとも言っていた。ブリームが使用するハウザーI世を超えるまでには至らないのであろう。

やはりブリームが好む軽いタッチで立ち上がりの早い透明なサウンドには、魅力がある。明るい音で、耳当たりが良い。

David Daily デヴィッド・デイリー (アメリカ)

1950年アメリカ生まれ、1976年からギターの製作をし、製作本数は300本を超える。1994年、スペインのグラナダを訪問する機会を得て著名なギター製作家、アントニオ・マリン・モンテーロと知り合い、彼の人柄、製作技術、ギターに対する真摯な姿勢にほれ込んだ。彼のギター工房でスペインの伝統製作技術を学び、一緒に仕事をしたのが、今日の大きな力となった。

デイリーのギターは、スペインの伝統的な製作技術がルーツとなっているが、自分のアイデアを取り入れ、丈夫で故障のないギターの製作を目ざしている。

アメリカのギタリスト、ロスアンゼルス・ギター・カルテットの一員でもあるアンドリュー・ヨークはデイリーのギターを高く評価、賞賛し、すべてのコンサートで使用している。現在はネバダ州でギター工房を開いている。

Edmund Brochinger エドムンド・ブロヒンガー (ドイツ)

1958年、ドイツ・ミュンヘンの近くババリア地方の中心部で生まれたブロヒンガーは、若い頃からキャビネットメーカーの職人として働きながら、ギター製作を夢見ていた。1982年、近くに住むギター製作家ブッフシュタイナーの工房に弟子入りし、ギター製作を学んだ。

1987年、著名な製作家ホセ・ルイス・ロマニーリョスの書いた『アントニオ・トルレスの生涯と作品』を読み大きなインパクトを受けた。2年後,スペインのコルドバで開かれたロマニーリョスによるマスタークラスで、古い伝統技術、トルレスによって築かれた近代ギター製作を学ぶことができた。1988年、ブッフシュタイナーの工房で製作に携わっていた同僚のフリッツ・オベールと共同でミュンヘンにギター工房を開いた。1993年、お互い独立しギター工房を持った。

1990年代の半ば以降、アメリカに住む演奏家、ロメロの家族と深い交流が始まり、ブロヒンガーの作品はペペ・ロメロが最も気に入るコンサート用ギターとなった。低い弦高を特徴としながらも、大きなコンサートホールでは立ち上がりの早い鋭い音色で威力を発揮する。

"エドムンド・ブロヒンガーは今日の世界で最も偉大なギター製作家の一人である"とペペ・ロメロは言う。製作本数が少なく、日本にはほとんど入っていない。

Edward B. Jones エドワード・B・ジョーンズ (イギリス)

ハープシコードメーカー、ロバート・ゴーグルに古典キーボードの製作を習ったジョーンズは、6年後の1973年、有名なギター製作家、デービッド・ホセ・ルビオの誘いを受けて工房に入り、ギター、リュートの製作に携わった。1979年までルビオの工房で勉強し、同年に独立、閑静な片田舎、スチープル・アストンに工房を開いた。

ルビオの工房で働いた経験はその後のギター製作に大変に役立ち、世界各地から注文がはいるようになった。表板に松を使用したギターのみで、地味なルックスのギターである。音はしっかり落ち着いており透明で、弾き甲斐のあるギターである。

Eric Sahlin エリック・サーリン (アメリカ)

シアトル近くのスポケーンで1956年に生まれた。若いころから木工芸品をつくることに趣味をもち、クラシックギターの音楽にとりつかれ、ギター製作を始めたのは1975年だった。カリフォルニア、ワシントンの大学で芸術、音響の勉強をしながら第1号のギターが作られた。独学でギターを製作したのである。

1977年には、家具、楽器職人として工房を持ち、数年を経て楽器専門となり、クラシック・ギターとともにリュート、アコースティックギターなどを手がけていた。1984年からはクラシック、フラメンコギターのみの製作となった。

スぺインの製作家、ホセ.・ラミレスに傾倒し、低音側の指板にテーパーをつけ、低音弦がビレるの防ぐとともに、指板にひねりをつけ駒の高さを一定にし、弾き易さを求めた。製作に手間のかかる仕事である。デザインの美しさと素晴らしい職人芸に感動させられる。

サーリン作のギターを使用しているギタリストの中には、ロスアンゼルス・ギター・カルテットのアンドリュー・ヨーク、スコット・テナントなどの名が見られる。その他、チェット・アトキンス、アール・クルーなどのポピュラーギタリストも使用していた。