Ramirez History

文: 荒井史郎


ルネッサンス、バロック時代を経て、クラシック音楽隆盛の時代につくられたギターの中で耳になじみの深いギターの製作家では、ルイジ・レニアーニが愛用したシュタウフェル(1778-1853)、カルリ、ソルが愛用したラコート(1785-1855)、そしてパノルモ・ファミリー、特にルイス・パノルモ(1784-1862)のギターが有名であった。その後、多くのギター製作者を生んだが、それまでのギターの姿を大きく変えたのが、スペインのアントニオ・トーレス(1817-1892)である。


今日のギターの原型はトーレスが設計したものといってよく、それまでのラコート、パノルモと異なり、ボディーは大きく、胴の厚みは深くなり、駒、響孔、ロゼッタなど、今日のギターのモデルの原型となった。ギター製作者のほとんどが、トーレスのギターを目標にして製作したのである。トーレスがスペインギター製作家の父と呼ばれる由縁である。


スペインの大衆にもてはやされたギターは、スペインに多くのギター製作家を生み、著名な作曲家、ギタリストも同様に輩出した。この時代の作曲家では、近代ギターの父と言われるターレガが著名で、素晴らしいトーレスの楽器を弾くターレガの姿は印象深い。トーレスの後を受け継いだスペインの名工の数は多いが、ホセ・ラミレスを除いて製作家を語ることはできない。ギター製作界に多大な貢献をしたホセ・ラミレス3世は1995年3月2日、72歳で永遠の眠りについた。ホセ・ラミレス4世(1953-2000)が、父3世の偉業を受け継ぎ、製作に取り組み、4世の没後は3世の娘であるアマリア・ラミレスが製作と工房の管理を続けている。


 


ラミレス1世


r_history02.jpgホセ・ラミレス1世(1858-1923)はスペイン・マドリードで生まれ、製作家フランシスコ・ゴンサレス(1830-1880)の工房に12歳で徒弟として住み込み、修行した。1882年になるとマドリードのエル・ラストロで独立して製作を始めたのであるが、1890年にはコンセプシオン・ヘロニマ通りにも店を構え、ギター製作に携わっていた。1891年にはギター製作コンクールで金賞を授賞するなど、数々の賞を得た。


1世の弟、マヌエル・ラミレス(1864-1916)は、兄のもとでギター製作の技術を学び、立派な製作家となり、彼の手によって作られたギターは、1912年より25年間、コンサートでマエストロ、アンドレス・セゴビアによって愛用されたことでもよく知られている。また、弟子の中では、サントス・エルナンデス(1873-1942)や、ドミンゴ・エステソ(1882-1937)などの優れた製作家も生み出した。


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ホセ・ラミレス2世(1885-1952)は、4人兄弟の長男で、ギターの仕事に興味をもったのは彼一人である。子供の頃から父1世のもとで弟子のエンリケ・ガルシア(1868-1922)や叔父のマヌエル・ラミレス達と一緒に住み、ギター製作を習得していった。2世は優れたギター演奏者でもあったので、1904年、20歳のとき演奏グループの一員として南米を演奏してまわり、最後にはブエノス・アイレスで結婚したので、永住することを決意した。


1923年、ラミレス1世が亡くなったと知らせが入り、ラミレス2世は、1925年、マドリードに帰国せねばならなくなり、19年もギター製作から遠ざかっていたが、父の工房を引き継ぐことになった。店を引き継いで数年後、セビリヤの博覧会で最高賞を得て、彼の名は世界的に知れ渡った。


ラミレス2世の弟子でよく知られているのは、マルセロ・バルベロ(1904-1956)だが、その弟子には、アルカンヘル・フェルナンデス(1931-)、マルセル・バルベロ2世(1942-)が優れた製作家となり、製作に励んでいる。1世、2世のもとで塗装を主にして働いていた弟子には、マヌエル・ロドリーゲス1世(1878-1958)がおり、マヌエル・ロドリーゲス2世(1926-)もまた、ラミレス2世、3世のもとで修行し、その後、マドリードで工房を開き、現在もロドリーゲス3世と一緒に製作に携わっている。


ラミレス3


r_history05.jpgホセ・ラミレス3世は、1922年に生まれて、1925年、3歳のときに父とともにブエノスアイレスからマドリードに戻った。1940年、18歳のときにラミレス家代々の工房に父の要請で入り、従来のギターを研究、解明し、音の改良に取り組み出したのである。


その当時、3世にとって残念に思っていたのは巨匠セゴビアが25年間愛用した叔父マヌエル・ラミレスのギターを休ませ、1937年からはドイツのヘルマン・ハウザー製作のギターを好んで使用していたことである。セゴビアが気に入って演奏してくれるギターを作りたかったのである。1960年、ラミレス3世の手で作られたギターの一本がセゴビアによって選ばれ、その後、セゴビアの愛用する楽器となった。


"650ミリ弦長"


ラミレス3世のギター改善を画期的に成功させたポイントを大別すると、弦長、構造、塗装の3つである。ギターの弦長については多くの製作家が過去に研究を試みて、現在では650ミリ前後のギターが一般的となった。トーレスは650ミリであったが、当時の状況からみて、文献が手に入る時代でもなく、その時代に650ミリ弦長を設定したのであるから、素晴らしい先見の明をもっていた製作家といえる。マヌエル・ラミレスは655ミリ、サントス・エルナンデスは659ミリを多く採用、ドミンゴ・エステソは655ミリ、ヘルマン・ハウザーは650ミリと640ミリ、主として650ミリを採用していた。


ラミレス3世はボディーの内部構造、響孔、駒の位置などからみて、664ミリの弦長が音にとって理想的であると判断している。しかし、弾き易さを考えると、650ミリが有利であり、昨今は650ミリが流れとなって好まれている。


"レッドセダーの採用"


1963年に弦長に続いて改良したポイントは、ボディー内の空気震動を変えるために、胴板の内側にシープレス材の板を二重に貼り付けたことである。この二重胴板によって、音質は格段に優れたものとなった。1963年には、ギターの表面板として新しい材料、レッド・セダー(THUJAPLICATA)が使われた。弦楽器の表面板材料は、バイオリン、チェロ、ギターなど、松、ヨーロッパ・スプルースを使用するのが常識で、他の材料を使用することは、どの製作家も考えなかったのではないだろうか。裏、胴板はローズウッド、マホガニー、メープルなど、各種の材料が試みられたが、表面板は音にとって最も重要な響板であり、松以外の材料に思いが行かなかったのである。


アメリカのレッド・セダーを発見したラミレス3世は、その材料による試作をはじめ、音質の異なった、音量豊かなギターの製作に成功した。ナルシソ・イエペスは、この新しいギターを携えて日本に演奏流行にやってきた。この、レッド・セダーを使用したギターは、ギタリスト、製作家に大きな影響を与え、1、2年後には世界の、多くの名だたる製作家がレッド・セダー材の採用に踏み切ったのである。


イグナシオ・フレタ、エルナンデス・イ・アグアド、マルセリーノ・ロペス、ヘルマン・ハウザーなどがレッド・セダーを採用し、フレタは、レッド・セダーのみで、その後、松材を使用することはほとんどない。ロペスは何度となくレッド・セダーで製作したが、出来が良くなく、3年後には製作を諦めてしまった。アグアド、ハウザーもレッド・セダー材で何本も製作したが、松に比較して成功したとは言えない。デヴィッド・ルビオ、アルカンヘルは、今日ではレッド・セダーで製作しなかった数少ない製作家である。


r_history07.jpgラミレス3世のレッド・セダー材によるギターの登場は大きな衝撃であった。当時の3世の松材によるギターの音とは大きく異なり、迫力のある豊かな音量、柔らかく甘い音色で、つやのある歯切れのよい音は、それまでの松材のギターを圧倒したのである。レッド・セダー材と比較して、松材ギターは、音質はクールで雑音のない透明な、キラキラ光るような輝かしい音と言われたが、レッド・セダー材は、音色の変化、表現など、松材に比較して音をつくり易いとよく言われた。


このラミレス・ギターの登場後、何年間か、レッド・セダー材ギターの全盛期が続き、各製作家が製作する半数以上がレッド・セダー材となった。この2つの異なる材のギターに対し、それぞれの好みで論議が繰り返されてきたが、材料の見直しも始まり、今日では再び、松材ギターを好むギタリストが増加した。しかし、ラミレス、フレタ、フリードリッヒ、ロバート・ラックなど、相変わらずレッド・セダーで人気を得ている。


木材は経年変化によって、年数を経るにしたがってギターの音も変わっていく。ラミレス3世の松材、レッド・セダーで作られたギターの古いもので、あっと驚くほど素晴らしいギターに出会うことが度々ある。


レッドセダー材を表面板に使用したギターは何年かの用の間に昔が悪くなってしまうという風評が何年も前にあったが、それは事実誤認である。30年以上経過したレッドセダー材のギターは、その当時よりも良く鳴っている。ラミレス、フレタ、その他多くのギターは以前にも増して良い音を奏でている。


ひとつ注意せねばならないのは、限度を越えて薄い表面板を使用したギターは、一時期的に良く鳴ってくれるが、時間の経過とともに音が劣化するのである。早いものでは製作してから1週間も弾くと音の鳴りが悪くなったギターもあり、中には1年、2年かかって音が悪くなっていったギターもある。ギターは正しい調弦で優れた演奏者によって弾き込まれてゆけば、音はどんどん良くなってゆくが、正しく調弦せず、良い音で定期的に弾かれてゆかないと、ギターそのものもよくならない。


1963年にレッド・セダー表面板で試作された4本のギターは、最初にセゴビアの手に渡された。セゴビアはその中の1本を選び、それまで使っていた1962年作のギターは新しいラミレスと交換された。1965年以降はラミレスの新しいギターが何本もセゴビアによってテストされながらコンサートで使用されてきた。1967年作のギターは約3年間、セゴビアのコンサートで使用され、その後、何本かセゴビアの家を往来していたのである。


1974年、1975年には、フレタのギターがコンサートで使われた事があるが、アメリカの厳しい各地の乾燥に耐えられず、ギターの各所に割れを生じ、使用不能となり、再びラミレス3世のギターに戻り、それ以後、セゴビアは亡くなるまでラミレスギターを愛用したのである。


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弦楽器にとって最も重要で、頭を痛めさせるのは、塗装である。バイオリンのストラデイヴァリウスの秘密は、その塗装にあると古くから言われ、その研究もされているが、そのベールは未だにはがされていない。その塗装は、オイルをベースにしたニスと言われるが、欠点は乾燥に時間がかかることで、中には完全にクリスタル化するのに何年もかかる場合もあるとの事である。スペインでは、ギターの塗装にはアルコールをベースにしたゴマラカと呼ばれるセラックが使われてきた。タンポで繰り返し塗りあげ、磨きをかけ、乾燥させてゆく。


ラミレス3世は、オイルをベースにしたニスで、半年以上も乾燥させた最高のギターをセゴビアに献上したことがある。しかし、そのギターはしばらくしてから返されてしまった。その理由は、ケースの内側の毛がギターにくっついてしまったのだった。まだニスが完全に乾きさっていなかったのである。


セラック・ニスに満足していなかった3世は、ドイツでユリア樹脂をベースにした合成塗料を見つけ、ギターの塗装に採用した。この塗料でも乾燥に2カ月半くらいかけているが、昔にとってはセラック塗装とは大きく異なる音質となり、ラミレス独自の豊かな音量、つやのある輝かしいクリスタルな音質のギターとなった。伝統的なギターの常識を打ち破ったユリア樹脂による塗装は、一般ギタリストにも十分に受け入れられ、セゴビアの愛するギターとなったのである。


受賞歴


今日までラミレスが得た賞は数え切れないが、下記は主だったものである。


1962年 シカゴギター協会金貨


1962年 マドリード商工会議所銅貨


1968年 ローマギター文化センター名誉会員


1972年 マドリード製作家協会金賞


1983年 サンティアゴコンボステラ名誉会員


1986年 マドリード伝統芸術家賞


1987年 マドリード商工会議所センチュリーエムプレサデイプロマ


1987年 パリ教育文化省デイアパソンオドール賞


[写真:マドリード商工会議所銅貨の賞状]


工房と弟子たち


近代ギターはトーレスによって始まったと言われるが、そのトーレスと並び称されてもよい現代ギターの名工は、ホセ・ラミレス3世ではなかろうか。1960年代から1970年代にかけて、世界的にギターが隆盛し、ラミレスギターの需要が増加したために、3世は弟子の数を増やし、4階建て地下1階の空調設備の完備した近代的な工場に移転した。


材料は自然乾燥、強制乾燥によって狂いを生じなくなり、夏でも冬でも50%の湿度の室内で製作されたギターは、異なった気候条件の中でも狂いの少ないギターとなり、世界では最も丈夫で狂いの少ないギターと言われている。


弟子達13名が製作に携わっていたので、製作されたギターには、内側に製作者の名前のイニシャルがスタンプされていた。不思議なことに、弟子連が作ったギターには微妙な音の違いがあっても、はとんど見分け、聴き分けのできない同じようなギターが製作されていた。3世の製作意図がそのまま受け継がれ、弟子達がその指導に忠実に従って製作していたことがうかがえる。


世界の主だったギター演奏家がラミレスギターで演奏会を開き、そのギターの製作者のスタンプを愛好家が見て、それと同じスタンプされたギターに需要が集まるようになり、製作、販売の調整が困難になってきたため、ギター内側のスタンプを中止した。


下記はラミレス3世の弟子達である。


Manuel Alonso, Cayetano Alvarez, Jose Luis Alvarez(ホセ・ルイス・アルバレス),


Paulino Bernabe(パウリーノ・ベルナベ), Carlos Blanco, Enrique Borreguero,


Manuel Caceres(マヌエル・カセレス), Alfonso Contreras(アルフォンソ・コントレラス),


Pedro Contreras, Josef Lores, Juan Grcia, Manuel Gonzales, Juan Miguel, Pedro Gimenez,


Jose Lopez, Carmelo Loerona, Miguel Malo(ミゲール・マーロー),


Felix Manzanelo(フェリックス・マンサネロ),


Pedro Manzanuelo, Ignacio Rozas(イグナシオ・ローサス), Antonio Marinez, Julian Rodriguez,


Ramon Soler, Teodor Perez(テオドール・ペレス), Manuel Rodriguez(マヌエル・ロドリゲス),


Jose Garrido, Arturo Sanzano, Mariano Tezanos(マリアーノ・テサーノス)


隆盛した世界ギター界によって、多くの製作家が世界各地で育ち、優れたギターが製作されるようになり、そのうえギターのブーム的症状も落ち着きを示してきたので、ラミレスは工場を以前使用していた小さい工房に戻し、弟子達の多くと1991年に決別し、4名の製作者で製作している。


100年以上にわたって、ギターの匂いのしみついたコンセプシオン・ヘロニマ通りの工房は、ラミレスギターショップとして開かれ、2階に歴史を物語る数々の蒐集されたギターが飾られていたが、1993年にラ・パス通りに移転された。


ホセ・ラミレスのギターは1930年代に日本に輸入された記録があり、中野二郎、小越達也によって愛用されていたという。1954年になって、ラミレス3世の作品が日本に輸入され、その後のラミレスはギタリストのあこがれの楽器となった。1954年にはハウザー2世の作品も日本に入り、世界の銘器が少しずつ見られるようになった。


r_history12.jpgラミレス4世とアマリア・ラミレス
ラミレス4世は1953年、マドリードで生まれ、学校を卒業後、18歳のときに3世の工房に入り、ギター製作を勉強した。


1977年、1979年に作った4世のギターはセゴビアによって採用され、セゴビア愛用のギターにつけ加えられた。日本のコンサートでは4世のギターで弾かれ、輝かしい、つやのある歯切れのよい魅力ある音色で聴衆を感動させた。セゴビアは後日、4世に手紙を送り、ギターを誉めたたえ感謝していると伝えている。


ギターの知識、製作技術は3世から全てを学び、弟子三人とともに理想的なギターの製作をし、ギタリストの要望に応じてユリア・ニスとともに、伝統的なセラック・ニスも使用し、レッドセダー、松材使用による音の差が小さくなったように思われる。その時代、時代ごとの音に対する感覚も変わっていくのかも知れない。


r_history13.jpgラミレス3世の娘、アマリア・ラミレス(1951-)は占星術の研究家で、彼女による著書も発売されているが、最近ではギターの塗装に熱を入れ、4世なきあとも工房で製作・管理に携わっている。